心も身体も健康になろう~池部秀則のブログ

前向きになれる言葉を探して

鹿と秋の夜長

鹿の意味すること~秋・その4 - 心も身体も健康になろう~池部秀則のブログ

この続きです。

百人一首003 柿本人麻呂

あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の
長々し夜を ひとりかも寝む

あしひきの やまどりのをの しだりをの

ながながしよるを ひとりかもねむ

【山鳥の尾の、あの長く垂れ下がった尾のように長い夜を(あの方は来てくれないまま)独りさびしく寝ることだろうか。】

秋の夜長とはいうが、より夜の長い冬を「冬の夜長」とは言わない。秋になって日が昇るのが遅いし、日暮れは早い。夜が長くなったと感じられることが❝秋の夜長❞である。

中世、通い婚の時代である。夫は妻の元を訪れた。訪れないのは他の女のところにいるからである。とくに夜が長くなると、その寂しさはよりいっそうのものとなる。

妻はこれを恐れた。

奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき

鹿が鳴くことは、未だその鹿がひとり寂しく、伴侶と遭遇していないことを示している。

※時間がないのでここまでにします。

鹿の意味すること~秋・その4

秋~その1/実りの秋 - 心も身体も健康になろう~池部秀則のブログ

秋~その2/季節を計算する - 心も身体も健康になろう~池部秀則のブログ

明日は本当の「七夕」~秋・その3 - 心も身体も健康になろう~池部秀則のブログ

未読の方は上記をご覧ください。

 

北鹿(ほくしか=秋田)、春鹿(はるしか=奈良)、八鹿(やつしか=大分)・・・お酒の好きな人はすぐ分かると思う。日本酒です。

とりわけ、大阪・能勢の「秋鹿あきしか」はコクがあるのに、すっきりしためっぽう旨い酒である。秋鹿(秋鹿酒造) の正規販売店| 酒専門店鍵や

・ここでは、①秋と鹿がくっついていること。②鹿鳴館(ろくめいかん)のように、鹿にはロクという音読があるにも関わらず「しか」と頑固に訓読していることをご承知おきくださいね。北鹿は音+訓の「重箱読み」です。

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百人一首005 猿丸太夫

奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき

おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき

という歌がある。

人里離れた奥山で、散り敷かれた紅葉を踏み分けながら、雌鹿が恋しいと鳴いている。このような鹿の声を聞くときこそ、いよいよ秋は悲しいものだと感じられる。」これが一般的な解釈である。

悲しき という連体形で終わっているところが少々異例かもしれないが、これを言い出してしまうとキリがないのでここで文法的な話は終わる。

花札のイメージに近い。

というか、先に古典文学があって、それに従って花札が意匠されたと見るべきだろう。

 

鹿鳴館について書いたが、これは中国の古典・『詩経』から来ている。明治維新人物ギャラリー資料展示「井上馨と鹿鳴館の時代」

これも突っ込み始めると長くなるから、中国でも③鹿の鳴く声は風情のあるものとされたということは覚えておいてください。

 

では、なぜ鹿が鳴くのか?

異性を求めているのです。牡鹿(雄鹿=おじか)が鳴いて、雌鹿(牝鹿=めじか)を呼んでいる。

紛らわしいから、しっかりご覧ください。牡♂牝♀です。雄♂雌♀

交尾期とされたのは秋。今の秋と変わらない。

丸谷才一の『新々百人一首』より。

われわれの祖先はこの声にいたく感じ入つたものらしい。これは古代日本では、秋が恋の成就する季節とされてゐて、秋になつたら相逢はうと男女が約束したりしたことと一致するからである。

すなはち、鹿はエロティックな局面の比喩であつた。かうしてこの獣は王朝和歌の最も重要な動物となり…

※今回はここまで。ワシも所用があるので、ここで失礼します。後編は後で書きます。

明日は本当の「七夕」~秋・その3

明日は、本物の七夕です。旧暦七月七日です。文学的な秋の始まりです。

感覚的にも、二月下旬が春の始まり、五月下旬が夏の始まり、十一月下旬が冬の始まりということは納得いただけると思います。

以下ウィキペディアより・・・・

江戸時代には五節句の一つ「七夕の節句」(たなばたのせっく、しちせきのせっく)として定められ、「笹の節句」とも呼ばれた(節句はいずれも節供とも表記される)。元来、旧暦7月7日の夜の行事であり、日本ではお盆(旧暦7月15日前後)との関連が深い年中行事であった。しかし、明治改暦(日本におけるグレゴリオ暦導入)以降、お盆が主に新暦または月遅れ8月15日前後に行われるようになった一方で、七夕は新暦の7月7日に行われることが多くなり、本来のお盆との関連性は薄れた。・・・・のです。

ざっくり書いてしまえば(とはいえ調べましたよ)、東北の三大祭り

青森ねぷた祭り、秋田竿灯祭り、仙台七夕まつり

今は、お金と時間があれば三つ見て回ることができますが、本来は三つとも七夕関連の行事で、やはり旧暦七月七日のものなのです。

明治維新で新暦が導入され、ついでに昭和になって観光客も意識されるようになった結果、本来とは違う日時で開催されているわけです。

アジア各地に伝わっているけれども、共通しているのは、牽牛星(けんぎゅうせい=わし座のアルタイル、彦星)と、織女星(しょくじょせい=こと座のベガ、織姫)が、年に一度の逢瀬を果たすこと。

「しちせき」とも言うが「たなばた」と読むのが一般的である。その由来については神を迎え祀るのに、乙女が機屋(はたや)にこもっていたことから、棚機女(たなばたつめ)、乙棚機(おとたなばた)と呼称されるようになったという折口信夫(おりくちしのぶ)説は多分正しい。

※乙女=処女 

※たなばたつめ の「つ」は現代語の「の」。沖つ舟が「沖の舟」であるのと同じ。

「機を織る女」。

machineを「機械」と訳すが、このmachineの原点は日本では織機だったのである。

トヨタ自動車の原点は豊田自動織機である。豊田佐吉が作った繊維機械の会社。

 

ついでながら、中国の七夕は「たなばた」でなく「しちせき」と読む方が無難と思われる。

もうひとつ。中国では旧暦を「古暦」などと言って遠ざけることはしていない。彼らは旧暦を「農暦」と呼ぶ。

秋~その2/季節を計算する

秋~その1/実りの秋 - 心も身体も健康になろう~池部秀則のブログ

この続きです。

便宜上、ひと月は30日とさせてください。小学生に理解してもらえることを前提にしたアバウトな計算ですから。

今年は春分が3月20日、夏至が6月21日、秋分が9月23日、冬至が12月22日

 

6月21日と9月23日の真ん中を計算する。

6月21日+9月23日=15月44日 → 繰り上げて16月14日。

これを半分すれば8月7日くらいが立秋になる。

※実際は6月残り9日、7月が31日、8月が31日、9月が23日で94日。

半分が47日。47-[6月の]9[日]-[7月の]31[日]=7日、8月7日になる。

うるさい子にはこうやって説明する。

ともかく、8月の上旬が立秋になると分かってもらえればいい。

 

太陽が一番(南中が高度)高い夏至、一番低い冬至、その真ん中に春分と秋分がある。

太陽が高いことは気温が高いことを意味しない。地面が温まってから空気が温まる。ゆえに7月下旬から8月上旬が一番気温が高いのである。だから立秋は太陽の高さから言っているのであって、実は暑い盛りなのである。…と説明する。

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昔、アサガオは7月~8月に咲いた。夏休みの自由研究の定番だった。しかし、近年の異常な暑さのため、我が家では9月、下手したら10月にも咲くことがある。調べてみたら、それは世間的にも珍しいことではないらしい。

(思えば、学校で太陽の南中が正午、地温が13時に一番高くなり、それが伝導して14時くらいが最高気温になる、と習ったが昨今15時半くらいが最高になることが多い。)

その一方で彼岸花は見事なくらい、毎年9月下旬、まさしく秋の彼岸に合わせて咲く。

 

去年、流行語大賞で候補として「二季」が挙がっていた。春と秋が昔とちがい非常に短くなっていることを表している。

小学校の運動会も5月開催が、かなり当たり前になってきている。

子どもにものを教えるということが難しい時代であるとも思う。

 

秋~その1/実りの秋

立秋を過ぎると暑中見舞いでなく残暑見舞いになる。

もっとも立秋は科学的なもので夏至と秋分の真ん中という意味でしかない。

文学的情緒的には旧暦の七夕(今年は8月19日)からが秋となる。

・・・・と、ここまでは書いた。

漢字ペディア「秋」

①四季の一つ。あき。「秋雨」「秋霜」「仲秋」 対春 ②とし。としつき。「千秋」 ③とき。大切なとき。

一日千秋の思いで待つ…などという言い方をする。また「春秋しゅんじゅう」という表現は単に「春と秋」でなく、歳月そのものを指すことも多い。春秋戦国時代などというときも然りである。これが②。

危急存亡のとき、どいう表現があるが、この「とき」は秋の字を当てる。とにかく急がねば、という火急の事態のことである。これが③。

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④が抜けている。

みのり。植物などが実ること、あるいはその時。

である。

「麦秋ばくしゅう」、「麦の秋」は夏の季語である。

米と麦の二毛作の場合、田植えの前に麦が実る。5月下旬ないし6月の上旬である。

しかし、学校教育というのは唐突でいけない。

麦秋は夏の季語、七夕は秋の季語…と教えても生徒は理解できまい。国語と理科、あるいは社会を絡めたことを教えないと、縦割り行政となんら変わりがなくなる。

 

どこでも住所、なんでも住所

分けて使って欲しい言葉がある。

住所と所在地である。

今試合が終わったから引き合いに出すが、

・花巻東高校の住所 という表現はおかしい。

・花巻東高校の校長先生の住所 であれば問題ない。

・花巻東高校の所在地 というべきではないか?

カタカナであればアドレスで済む。が、日本語は区別する必要がある。

花巻東高校は存在するのであって、高校がどこかに住んでいるわけではない。

「貴公の会社の住所を教えてください」。恥ずかしいだろう?